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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)12495号 判決 1969年7月14日

原告 大谷忠

<ほか一名>

右原告等訴訟代理人弁護士 上杉柳蔵

被告 加藤造園株式会社

右代表者代表取締役 加藤茂助

右訴訟代理人弁護士 松井康浩

主文

原告等の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告等の負担とする。

事実

一、原告等は「被告は、原告等に対し、それぞれ金一、〇一一、八六四円とこれに対する訴状送達の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因を次のとおり述べた。

1、原告等は夫婦であって、昭和四一年二月一三日から肩書地に居住し、長女由紀子(当時四才)、長男聡(当時二才)と家族四人を有し、原告大谷忠は東京都板橋区所在の有限会社双映社(オフセット写真製版業)の企画主任として勤務し、中流サラリーマンとして平和な家庭生活を送っていた。

2、原告等の居住地は、約二〇戸の建物がある新開住宅地であるが、附近には適当な遊び場もないので、公道に通ずる幅員四ないし五メートルの私道をはさんで向側にある被告の芝生造生地は、附近の子供の遊び場となっていた。

3、右被告の芝生造生地は、前面が幅員一〇メートルの公道に面し、二区画に区分され、(一)私道に面する部分については周囲に何らの囲が施されてなく、(二)他の部分については公道に面する部分のみ有刺鉄線があるにとどまり、(一)の部分との境界線の有刺鉄線はとりはずされて、自由に通行できる状態であった。

そうして、右(二)の公道に面する部分の中央部には、被告占有の肥溜が設置されていたのであるが、右肥溜の蓋は腐蝕して三分の一程度しか残存せず、その表面には板切、棒切等が浮遊し、また、肥溜の周囲は雑草が生い繁って肥溜の所在は一見して不明の状態であり、附近にはここに肥溜がある旨の注意の立札も存在しなかった。

4、昭和四二年四月一八日午前一〇時頃、原告方に宿泊していた原告の実妹である訴外松本クニ子が、原告等の前記二人の子供と自分の子供二人(四才と生後七ヶ月)を連れ、近所の白井某女(同女も生後三ヶ月の子供を連れていた)と共に、前記被告の芝生造生地に散歩に出かけ、芝生の上で遊んでいた。

5、その時、当時二才になったばかりの大谷聡の姿が急に見えなくなったので、原告大谷マサ子も連絡を受けて現場にかけつけて、その所在を探した結果同人は前記肥溜に浮いた状態で死亡していたのである。

6、右大谷聡の死亡は、被告の占有管理にかかる芝生造生地に設けられた肥溜の設置、保存の瑕疵に基因するものである。

即ち、右芝生造生地は附近の子供の遊び場となっており(他人の所有地に立入ることについて、是非善悪の解らない子供がここを遊び場として使用することは無理からぬことである)、従って、子供が肥溜に落ちる危険性が当然予想されるのに拘らず、被告は前記のような状態で肥溜を放置していたのである。この点について、被告は、工作物の設置、保存の瑕疵とは、本来その工作物が備えるべき性質、設備を欠くことによって、通常の判断能力ある者にとって危険な場合にのみその責任がある旨主張するが、工作物の設置、保存についての責任は、他人に対し危険を及ぼす可能性のある物の占有者(所有者)に、特別の責任を負わせる社会共同生活の理念に基くもので、右危険は、一般的抽象的危険で足りると解するのが法の理念に合致するものといわなければならない。

7、右大谷聡の死亡によって、原告等は、愛児を失い、現在もなおあきらめきれない毎日を過しているのであるが、これによって、次のような損害を蒙った。

(イ)  逸失利益 大谷聡は死亡当時二才の男子であったから、昭和四〇年度における中学卒業者の給与金一四、五〇〇円から、同人自身の生活費としてその二分の一を控除した残金七、二五〇円が同人の一ヶ月の純収益であり、就労可能年数を四六年としてホフマン式によって中間利息を控除した同人の得べかりし収益は金二、〇四七、四五八円であるところ、同人の死亡事故については、原告等にも監督上の過失があるので五割の過失相殺をした残額を原告等がそれぞれ二分の一宛相続した。

(ロ)  慰藉料 原告等の長男であった大谷聡を不慮の事故によって失った精神的苦痛に対する慰藉料は各自金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

8、よって、原告等は、被告の占有する前記肥溜の設置、保存の瑕疵によって、それぞれ右合計金一、〇一一、八六四円の損害を蒙ったので、右金員とこれに対する本訴状が被告に送達された日の翌日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告は、主文同旨の判決を求め、答弁並びに抗弁として次のとおり述べた。

1、原告等主張の請求原因第1項記載の事実は知らない。

2、同第2項記載の事実中、芝生造生地が附近の子供の遊び場となっていたことは否認するが、その余の事実は認める。

3、同第3項前段記載の事実は認める(但し、芝生造生地が公道に面する部分は全面に亘って有刺鉄線が張ってあった)。

同第3項後段記載の事実中、肥溜の周囲に雑草が生い繁っていたこと、および、肥溜の所在が一見して不明の状態であったことは否認するが、その余の事実は認める。

4、同第4項記載の事実は知らない。

5、同第5項記載の事実は認める。

6、同第6項記載の事実は争う。

(イ)  工作物の設置、保存の瑕疵とは、その物が本来備えるべき性質または設備を欠くことであるが、本件肥溜にはかかる瑕疵は全くない。工作物の設置、保存の瑕疵に基く責任は、原告の主張するように、危険責任の思想に基くものであるが、右危険とは、是非善悪の判断はおろか、自己の生命、身体の安全を自ら守るべき能力を全く有しない幼児にとってまで危険であると解するのは、危険物の概念を無用に拡大するものといわなければならない。右危険とは、あくまで通常の判断能力を有する平均人を基準とするのが合理的であって、幼児にとっては、極論すればあらゆる物(例えば、道路の側構、社寺の石段)が危険な工作物たり得るのである。

このような意味において、深さ三十数センチメートルの本件肥溜は危険責任の対象となる危険物ではないし、被告に肥溜の設置、管理に何らの過失もない。

(ロ)  更らに大谷聡は、危険の予知能力や危険回避の能力のない幼児であるから、保護者はこれらの危険を避けるため、常に幼児から目を離さず、看護すべきであるのに、同伴者であった松本くに子は、周囲の一部には土手や有刺鉄線があって、一見して私有地で他人の通常出入できない芝生造生地に立入り、しかも、知人との立話しに夢中になっていたために前記事故が発生したのであるから、被告には全く責任がない。

7、同第7項記載の事実は争う。

(証拠)≪省略≫

理由

(一)  大谷聡(当時満二才)が、昭和四二年四月一八日午前一〇時過頃、原告等居住地の附近にある芝生造生地の被告占有にかかる肥溜に転落して溺死したこと、右芝生造生地の周囲に張った有刺鉄線の一部がこわれて事実上芝生造生地への立入りが可能であったこと、および、肥溜には柵や完全な蓋が施されていなかったことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右大谷聡の転落溺死事故につき、肥溜の占有者である被告にその責任があるか否かについて検討する。

(1)  ≪証拠省略≫によれば、右肥溜は、約九九〇平方メートルの芝生造生地の北端に位し、縦三、三メートル、横一、五六メートル、深さ〇、三五メートルのものであること、その表面の約二分の一には厚さ五センチメートルの木製の蓋が施されていたが、その余の部分には蓋等の設備がなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2)  ところで、右認定のように深さ〇、三五メートルの肥溜では、幼児若くは老令者でもない限り、転落しても死亡することは通常あり得ないであろうが、正常な判断能力と危険回避能力を有する者であっても、過って足を踏みはずせば傷害を負う可能性は充分あり得るものといわなければならず、そのような意味で右肥溜も危険物であることには変りがない(幼児である大谷聡が死亡したことは結果にしかすぎないのである)。

(3)  従って、右肥溜の占有者である被告は、仮にこれが他人が無断で立入ることのできない私有地内にあったとしても、他人がその附近に立入る可能性が予想される場合には、これを防止するなり、危険物の存在を周知させる等の措置を講じて、不測の事故の発生を未然に防止する義務がある。しかし、危険物の占有者に課せられる防護の措置の程度(義務の内容)は、その危険物の危険の程度によって異り、抽象的には危険物の危険性と比例すると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、≪証拠省略≫によれば、前記芝生造生地の周囲には本件事故発生の約一週間程以前には有刺鉄線が張りめぐらされていて通常は立入りが不可能であったこと、被告側において月一回程度の見廻りをして、本件事故発生の約一月前には一部切れていた有刺鉄線を修理していたこと、芝生の搬出作業は毎年五、六月頃から一一月までで、本件事故発生の四月には被告において有刺鉄線を一部でも取外す必要がなかったことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。これに対し、≪証拠省略≫によれば、松本くに子は白井昭子とともに、乳幼児数名を連れて抗が倒れて地面に落ちていた有刺鉄線をまたいで芝生造生地に入ったことが認められ、右認定に反する証人白井昭子の証言は信用できない(なお、本件事故当時、どのような原因で有刺鉄線が一部地面に落ちていたかは本件全証拠によるも明らかでない)。

右認定事実によれば、肥溜の占有者である被告は、肥溜の存在する芝生造生地に立入ることができないよう、社会通念上相当な(危険物の危険性との相関関係において)防護の措置を講じていたということができる。即ち偶々本件事故発生当時は、前記認定のとおり有刺鉄線の一部が地表に落ちていたのであるから(但し、被告において、右事実を知りながらこれを放置していたことは認められず、また被告が本件事故発生の約一月前に現地を見廻りしたことは前記認定のとおりである)、これをまたげば芝生造生地内に立入ることは可能であったとしても、この場合通常人としてはそこが立入禁止の区域であることを充分認識できるのであるから、右芝生造生地への立入りは控えなければならないのである。

(三)  以上説示のとおり、肥溜の占有者である被告は、損害の発生を防止するに必要な注意をなしたといえるから、原告等の本訴各請求は、その余の主張について判断するまでもなく失当である。

よって、原告等の本訴請求を棄却することとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 定塚孝司)

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